2011年4月11日月曜日

美し郷のこの地を再び・・・

 この地区の玉浦中学校の校歌に「日本国の再建を・・」「美し郷、わが中学のあるところ」の歌詞がある。 中学の時、戦後何十年もたっているのに何が日本の再建なのかと思った事があった。それが今まさに再建の時代に入った。 家を流された友人に電話した。これまで築き上げた物が総てなくなったと泣いていた。悔しいと泣いた。それでも、泥にまみれた皿や茶碗を洗って使っていると力強く話す。 今日、訪問した大正4年生まれのお年寄りの頭の中は津波の前の相の釜の部落があった。 あの美しかったふるさとの海を心から楽しめる日を夢見て、泥をはねのけ生きていきたい。

2011年4月8日金曜日

震災から、もうすぐ1カ月・・・・

走って走って過ごした1ヶ月間。現実が見えてきてやりきれなさが増してきました。朝、目を覚ますと夢ではなかったのかと錯覚を覚えます。知り合いの人たちの死が次々と知らされる。幼い時からの思い出いっぱいの父や母に愛され育った家の崩壊。たんぽぽでの震災の被害額が明らかになってきた。リースで使用していたものやスプリンクラー、エアコン等すべて新たに購入しなくてはならない。どの会社も大変でしたね。無償で保証しますとは絶対に言わない。2台分のリース料金を支払うことになる。どの会社も修理よりも新しく購入した方が言いという。津波は塩水だから使えませんと言う。電卓は予想以上の金額を示す。今日、郵便が来た。カタログハウスは震災でダメになったものを無償で交換するという。なんと心温まる手紙だと感激した。復興する時、企業は経済的にも精神的にも多大な被害をこうむる。国も銀行も貸付制度を提案してくる。マイナスからの出発の新たな再建に社会の厳しさが身にしみる。震災後の利用者さんの動向を調べた。14名の利用者さんが被害にあい、その方々総てが引っ越しや施設入所でたんぽぽを去って行った。6名の利用者さんが未だにたんぽぽにくる見通しがない。この玉浦地区は人口が半減になることは間違いない。この地を復旧する事は厳しくつらい事が多すぎる。それでも私たちは生きなければならない。自分自身のもっている力の限界はすでに超えている。それでも生きていかなくてはならない。なんとしてもなんとしても地域の復興をしていかなければならない。歯を食いしばって生きていかなくてはならない。それは生かされたものの使命であるから。