2011年3月30日水曜日

震災から16日目でサービスが開始できました。皆さんのおかげです。感謝します。






 たんぽぽの施設にたまった泥を、雪かき棒で払う事2日間。床が見えた時はホットした。仙台からボランティアさんが10名。職員も入り15名で泥との闘いをした。何も考えずだだ泥かきをした。設計屋さんに聞くと再建まで2カ月はかかるという。このままではたんぽぽがだめになる。職員の生活もある。職員の車は4台ダメになり、施設の車は6台がだめになった。たんぽぽはどこからも補助金をもらわないで創った施設。社長は再建には2千万円かかるという。

 避難所に行くと震災前まで歩けていた人が歩けなくなっている。家と家族を失った人たちが避難所にはたくさんいる。何とかしなくてはならない。再建しかないと思った。それも1日でも早い再建だ。生かされた自分にできる事は再建しかないのだと思った。市役所に行き健康福祉部長に訴える。「早く要介護者を施設に連れてきたい」と訴えた。要請文を市長に提出する様に言われる。しかし、停電している。ボールペンで要請文を書いていると電気が通り、手書きの要請文を提出せずに済んだ。市も応援するからと力強く言われ勇気がわいた。水を入れるタンク、レトルトの食品、毛布、灯油など支給された。

 たくさんの人たちがボランティアに来てくれた。仙台から自転車で来てくれた船山さん、高校生、浪人生、大学生、社会人。みんなで使えるものは水で洗った。まだ、水が通っていなかったが、隣の平井さん宅の井戸水を車でつんでたんぽぽまで運び洗った。

 被災に会った職員も少しづづ出始めてきた。職員に訴えた。避難所で介護を必要としている人たち、孤立した家でじっと耐えている高齢者を少しでも早くたんぽぽに連れてきたいと訴えた。私のごり押しの行動に職員は付いてきてくれた。また津波が来るかもしれないという恐怖と不安に耐えてたんぽぽに来てくれた職員に感謝したい。

 26日は無料で送迎とお風呂と食事を提供したいと職員に訴えると皆賛同してくれた。ここまで来れたのはたくさんの方々のおかげだからお返ししたいと話した。

 市役所に行くと東北放送のラジオが来ていた。アナンサーに訴えると番組に出ていいと言われた。26日に避難所の高齢者にお風呂と食事を提供したいと話すと、今必要なものは何ですかと言われる。明日から入浴介助するのにバスタオルがないと話すと、それを聞いていた仙台の及川さんがボランティアさんを通してたくさんの下着とバスタオルを届けてくれた。感謝。

26日は避難所から6人、自宅で入浴できていなかった人たち4人を温かくおもてなしした。

 28日からサービスを開始した。施設に入った人、仙台に引っ越しした人もいて震災前から比べると10人近くの利用者が減っていた。また、車椅子ごと乗れる送迎車が2台ダメになっていたので重症の人たちを迎えに行けない。

 震災から16日目に新しい施設で開設できたことは驚異だと思う。何としても1日でも早く利用者を、地域で孤立している高齢者のお役立ちしたいという願いがみんなを動かしここまでこれたのだと思う。今日もたくさんの物資が届けられた。四国から讃岐うどん、仙北からも車で支援物資を届けて戴いた。孫の手の松浦さんはたくさんの段ボールに入った衣類を届けてくれた。福島の介護施設をしている杉原さんからも支援物資が届けられた。ありがたくてありがたくて感謝しても感謝してもしきれない。

 

2011年3月22日火曜日

東北関東大震災によるたくさんの皆さまからの励ましご援助ありがとうございます。

3月11日14時46分。たんぽぽはおやつの時間の前で、ゲームなどをしていました。突然起きた大地震。皆で頭に座布団をかぶり余震も続いていたので皆で震えていました。施設の中は倒れるものもなく、余震がおさまる事を祈っていました。まさか、津波がこのたんぽぽまで来ることは誰も予期していませんでした。サイレンが鳴り「津波が来るから避難してください」と消防団が走り回り、事の重大さを知りました。社会福祉協議会の小菅さんが8人乗りの車で来てくれた時は涙が出るほど嬉しかった。上履きのまま取るものも取らず近くの避難所に車で走りました。津波は静かに向かってきて急にゴウーという響きのように押し寄せてきました。集会所の2階に避難しましたが天井は落ちていて蛍光灯でかろうじて止まっている状態です。結局17名の利用者、9名の職員が避難時に泊まりました。急に歌いだす利用者、帰る帰ると外に出ようとする利用者。職員は一睡もせず、共に避難してきた地域の方々と利用者を守り、励まし続けました。
翌日、集会所の周りにも水が来ていましたが、なんとか15名の方々をご自宅まで送る事が出来ました。しかし、2名の方は自宅が浸水している状態で帰る家がなく2日間避難所生活をしました。
13日にたんぽぽに行くと、泥水が床一面を覆い、腰辺りまで水が来ていました。
昨年8月に増築しやっと軌道に乗り始めた時に今回の震災に会いました。
岩沼の太平洋沿岸の地区は壊滅状態です。沿岸だけでも死者は100名を越しています。
震災から今日で半月が過ぎようとしています。徐々に地域は復旧に向けて動き出しています。
総ての利用者さんに連絡を入れました。自宅にいる方々はほんの少し、親戚の家や入所している人など様々です。この地域は大きく様変わりしようとしています。誰も沿岸地区に戻ろうと言う人はいません。できれば入所施設を探してほしいと言われます。津波は人や家、車をなぎ倒し、今度は家族の絆も奪い取ろうとしています。
1―2か月はたんぽぽの施設は使えないとのことで近くの「中目さん」宅をお借りして再建しようと日々頑張っています。硬いコンクリートの上で寝ている方々を早くたんぽぽにお連れしたい。心が逸ります。再建にむけて頑張ります。

2011年3月9日水曜日

上海の介護施設をみて来ました。












3月2日から6日、中国上海に行って来ました。
参加したメンバーは会社の経営者、大学教授、コンサルタント会社経営者と様々な職種の方々でした。観光というよりも、ビジネスツアーです。
中国は13億人が暮らし、そのうち2300万人が上海の人口です。東京の人口が1100万人といわれていますのでその倍の人々が暮らす街。1842年から約100年間も中国の領土でありながらイギリス、フランス、アメリカの支配下に置かれ、その街は上海租界といわれていました。
今は、ビジネスの街となっています。現に10万人の日本ビジネスマンが毎日働いています。日本人との人生観、価値観の違う人々が暮らす街にも高齢化社会は訪れます。
一人っ子政策や女性の9割が職を持つ国です。もちろん、介護保険制度はありません。家族が親を介護する事は日本以上に困難と思えました。日本ほど高齢化は進んでいませんが、2050年には中国も4人に一人は65歳以上の高齢者が占めるようになります。
そんな国の、異国の介護事情を少しでも見てみたいと思いました。
上海の青浦区にある老人ホームを見学する事が出来ました。国営の高齢者施設はありますが、私は民間企業が運営する老人ホームを見学しました。
オーナーは女性で、プロパンガス会社など経営している方です。
3万坪の敷地に施設は建てられていました。前は刑務所だったところを月に100万円で借り受けています。現在の入所者は177名。最高で730人は入所できるとのこと。職種は医師2名、看護師2名、介護職員44名。夜勤は12時間勤務。医師2名を配置している事には驚きました。医務室の中には数多くの薬品が並んでいました。
オーナーが歩くとほとんどの老人が握手を求め話しかけてきます。入所者の皆さんから慕われているのだと実感しました。施設の運営は国からの援助はなく、ほとんど利益はないとのこと。社会貢献のためにやっていると話す女性オーナーは飾り気のない質素な方でした。
                                        
                                    次回に続く